教えて!住まいの先生
Q 散髪屋さんの看板でクルクル回っている赤、青?のクルクルしてるやつって、、、どこでどういうゆうに、そう決めたのでしょうか?詳しく教えてください。
質問日時:
2011/1/28 18:57:33
解決済み
解決日時:
2011/2/12 08:52:54
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ベストアンサーに選ばれた回答
A
回答日時:
2011/2/12 08:52:54
サインポールの発祥はイギリスです。
16世紀に理髪外科医の看板に由来しています。
18世紀に西洋理容とともに輸入され、有平棒(アルヘイ棒)とも呼ばれました。
これはポルトガルの砂糖菓子「アルヘイ」のひねりを加えた形によく似ていた事に由来しています。
日本ではサインポール、海外ではバーバーポールと呼ばれています。
説:1
中世ヨーロッパでは、髪を切ることは身体を切ることと同じであると考えていたため、外科手術と散髪は同じ場所で行われていました。
当時の外科医は、病気の治療手段として体内から血液の一部を抜き取る「瀉血(しゃけつ)」という治療をしばしば行っていたようです。
この瀉血とは医学が発達していない当時、静脈をカミソリで切り、血を流すとともに病を静めるという治療法です。
中世ヨーロッパの絵で腕から血を採られている患者が長いポールを杖のように立てて握っています。
その握られたポールが後に「サインポール、バーバーポール」と呼ばれるのです。
採血は受け皿に溜るようになっていましたが、どうしても腕を伝わってポールのほうへ血が流れてしまいます。
それを目立たなくするためにポールは赤く塗られました。
そしてそのポールは、当時貴重だった包帯を洗って干す棒としても使われたのです。
そのポールへ包帯を巻き付けて外に45度の角度で干したのが外科医の象徴、つまりサインポールの始まりなのです。
ちなみにポールの先は丸くなっており、その部分は後にサインポールのグローブ(丸いガラス製のカバー)へと変化していきます。
やがて理容師は外科医と分離します。
その時、理容のサインポールには青が加えられ現在の三色になったということです。
説:2
サインポールは元々中世のイギリスで、当時の理髪師が外科医も兼ねていたことから血液を表す赤と包帯を表す白の2色で生まれました。
理髪師と外科医を別けるため理髪店は赤白に青を加える動きもあったが定着せず、その後アメリカ合衆国で同国の国旗(星条旗)のカントンの色である青が加えられたものであるということです。
2005年7月20日のトリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~内のコーナー
「ガセビアの沼」では、全国理容衛生同業組合連合会の意見によって、
「赤は動脈、青は静脈、そして白は包帯は間違い」
として紹介されました。
参照図書「日本の理髪風俗」著者.坂口茂樹によると、イギリスで学識医、理容外科医、湯屋外科医のそれぞれの標識(サインポール)を区別する規定が、1299年に行われていたらしい。
その後、1628年に、イギリスの医家ウイリアム・ハーヴェーが「心臓を中心とする血液循環の原理」の中で、赤を動脈、青を静脈に例えました。
血管に動脈と静脈の2種類があることが発見されたのは17世紀のことで、12世紀に血管を赤と青で分けて表示したということは、歴史上考えられないという指摘があります。
ゆえに、赤は動脈、青は静脈、白は包帯は間違いです。
この他にも、ナポレオンが最終的敗北を被ったワーテルローの戦い(1815)の際、(理髪外科医)のいた野戦病院の入口にフランス国旗を旗棒に巻き付けておいたものが、そのはじまりとする説もあります。
全理連の資料室によると、説:1の「瀉血棒説」の方が年代的にみて確実で信憑性の高いものであるようです。
16世紀に理髪外科医の看板に由来しています。
18世紀に西洋理容とともに輸入され、有平棒(アルヘイ棒)とも呼ばれました。
これはポルトガルの砂糖菓子「アルヘイ」のひねりを加えた形によく似ていた事に由来しています。
日本ではサインポール、海外ではバーバーポールと呼ばれています。
説:1
中世ヨーロッパでは、髪を切ることは身体を切ることと同じであると考えていたため、外科手術と散髪は同じ場所で行われていました。
当時の外科医は、病気の治療手段として体内から血液の一部を抜き取る「瀉血(しゃけつ)」という治療をしばしば行っていたようです。
この瀉血とは医学が発達していない当時、静脈をカミソリで切り、血を流すとともに病を静めるという治療法です。
中世ヨーロッパの絵で腕から血を採られている患者が長いポールを杖のように立てて握っています。
その握られたポールが後に「サインポール、バーバーポール」と呼ばれるのです。
採血は受け皿に溜るようになっていましたが、どうしても腕を伝わってポールのほうへ血が流れてしまいます。
それを目立たなくするためにポールは赤く塗られました。
そしてそのポールは、当時貴重だった包帯を洗って干す棒としても使われたのです。
そのポールへ包帯を巻き付けて外に45度の角度で干したのが外科医の象徴、つまりサインポールの始まりなのです。
ちなみにポールの先は丸くなっており、その部分は後にサインポールのグローブ(丸いガラス製のカバー)へと変化していきます。
やがて理容師は外科医と分離します。
その時、理容のサインポールには青が加えられ現在の三色になったということです。
説:2
サインポールは元々中世のイギリスで、当時の理髪師が外科医も兼ねていたことから血液を表す赤と包帯を表す白の2色で生まれました。
理髪師と外科医を別けるため理髪店は赤白に青を加える動きもあったが定着せず、その後アメリカ合衆国で同国の国旗(星条旗)のカントンの色である青が加えられたものであるということです。
2005年7月20日のトリビアの泉 ~素晴らしきムダ知識~内のコーナー
「ガセビアの沼」では、全国理容衛生同業組合連合会の意見によって、
「赤は動脈、青は静脈、そして白は包帯は間違い」
として紹介されました。
参照図書「日本の理髪風俗」著者.坂口茂樹によると、イギリスで学識医、理容外科医、湯屋外科医のそれぞれの標識(サインポール)を区別する規定が、1299年に行われていたらしい。
その後、1628年に、イギリスの医家ウイリアム・ハーヴェーが「心臓を中心とする血液循環の原理」の中で、赤を動脈、青を静脈に例えました。
血管に動脈と静脈の2種類があることが発見されたのは17世紀のことで、12世紀に血管を赤と青で分けて表示したということは、歴史上考えられないという指摘があります。
ゆえに、赤は動脈、青は静脈、白は包帯は間違いです。
この他にも、ナポレオンが最終的敗北を被ったワーテルローの戦い(1815)の際、(理髪外科医)のいた野戦病院の入口にフランス国旗を旗棒に巻き付けておいたものが、そのはじまりとする説もあります。
全理連の資料室によると、説:1の「瀉血棒説」の方が年代的にみて確実で信憑性の高いものであるようです。
回答
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A
回答日時:
2011/1/28 19:00:56
A
回答日時:
2011/1/28 18:59:55
もともとは医者を表すシンボルで、赤は動脈、青は静脈を表しています。
昔は医者が散髪をしていたため、その名残です。
昔は医者が散髪をしていたため、その名残です。
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