教えて!住まいの先生
Q 新宿区で一軒家の高級住宅街のエリアがあれば、教えてください。 例えば都心で港区だと高輪4丁目、白金台(?)、渋谷区だと松濤などが代表的と思います。
新宿区は地名が多くあって、よく分からないです。
マンションの高級住宅地は無数にあるかと思いますが、一軒家となると個人的には分からないことが多いので、
都内詳しい方いれば教えて頂きたいです。
マンションの高級住宅地は無数にあるかと思いますが、一軒家となると個人的には分からないことが多いので、
都内詳しい方いれば教えて頂きたいです。
質問日時:
2024/11/9 20:21:42
解決済み
解決日時:
2024/11/16 10:52:27
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ベストアンサーに選ばれた回答
A
回答日時:
2024/11/16 10:52:27
新宿区には、伝統も格式もある高級住宅街は区内各所に散在しているんですが、白金台や松濤レベルの「超」がつく高級住宅街はありません(と言っても小金持ちの中間層ではとても手が出せないレベルの地価であることは確かですが)。
マンションではなく戸建てが並ぶ高級住宅地、とのリクエストですが、今日び戸建て住宅ばかりの邸宅街なんて東京にまず無いですよ。代替わりによる土地売却やら相続税対策やらで、どの高級住宅街も表通りには高層マンション、裏通りには低層マンションが林立するようになっていて、それは白金も松濤も同じです。
明治以来の東京の伝統的な最高級住宅地は田園調布でも成城でもなく、千代田区の番町・麹町地区で、30年ぐらい前までは戸建ての大邸宅が並んで「閑静」そのものの住宅街、それはそれは見事なお屋敷町でした。しかしバブル期頃から低層マンションが立ち並ぶようになり、その後は高層化が進んで、都心という立地ゆえオフィス街化が著しく、通勤時間帯などはサラリーマンが群れをなして通りを闊歩し、閑静さから程遠いビジネス街になってしまいました。番町・麹町については戸建てかマンションかという以前に、住宅街の面影すら消えつつあります。
新宿区東部の市谷・牛込地区は起伏に富んだ地形で、高台には政・官・軍の要人や学者・文化人が居を構えた古くからの高級住宅地が点在しています。
町名でいうと市ヶ谷駅近くの市谷砂土原町や、神楽坂に接する若宮町。この付近は今も閑静な住宅街ですが、近年高層化とオフィス街化が進んだ千代田区の番町・麹町地区とは外濠を挟んで隣接する地域です。道幅が狭いので低層マンションが中心ですがビル化が著しく、お屋敷町の風情は消えつつあります。
新宿区内でも別格扱いの高級住宅街が下落合2丁目(南寄りの新目白通り沿いの低地を除くほぼ全域)・3丁目(目白通り以南のほぼ全域)と2丁目の北半分、通称「目白近衛町」と呼ばれるエリアです。
JR目白駅は豊島区にありますが、その西側は駅に近い一角を除き大部分が新宿区下落合に属します。ここは南を流れる神田川・明正寺川に向かって下る南斜面の高台にあり、理想的な住宅適地でした。
付近一帯は風光に優れた土地だったため、江戸時代は徳川将軍家の鷹狩りの場として一般庶民の立入が制限され、自然が手厚く保護されます。明治になると近衛家(五摂家筆頭にして天皇家に次ぐ日本最高の名門貴族)に広大な土地が与えられたことからも、この地がいかに高燥・温暖で眺望も良い一等地であったかが判ります。近衛家はここに本邸を構え、緑濃い自然豊かな環境は明治以降も維持されたのでした。
しかし大正末期、のち首相となった近衛文麿が当主の時代に近衛家は敷地の相当部分を東京土地住宅(株)に売却します。文麿の父・篤麿(貴族院議長)が政治活動で莫大な借金を背負い、それを返済するためと言われます。東京土地住宅はここを「近衛町」と命名、高級住宅地として分譲します。
近衛町には篤麿が学習院院長だった縁から学習院高等科の男子学生寄宿舎「昭和寮」が建てられ、明仁親王(現上皇)も学生時代ここで生活されるなど、皇室とも深い繋がりがある場所でした。昭和寮の瀟洒なスペイン風洋館は戦後日立製作所の所有となり、現在は「日立目白クラブ」として近衛町のシンボル的存在になっています。
「近衛町」は通称で一度も公的な地名になったことは無いのですが、住民はこの名に誇りを持っており、一帯は「近衛」「近衛町」の名を冠した施設がたくさんあります。ここもご多分に漏れず低層マンションが増えていますが、なお庭木が緑濃く繁る一戸建ての邸宅が多く残り、戦前からのお屋敷町の品格を保っています。
https://precious.jp/articles/-/39625
https://ameblo.jp/inazuma560/entry-12521122286.html
目白近衛町の西に位置する中落合2丁目の一部、3丁目と4丁目の大半、中井2丁目付近(概ね西武新宿線中井駅北側の高台一帯)は、現在の西武グループの経営上の祖である堤康次郎が率いる箱根土地(株)(後の国土計画~コクドの前身、現在は消滅)が大正末期から昭和初期に開発・分譲した「目白文化村」という高級住宅地でした。
目白文化村は、戦前は目白近衛町をしのぐ高級住宅地として実業家や文化人が居を構えていたのですが、1945年(昭和20)の空襲で大半の住宅が焼失し、また分譲地を分断する形で環状6号線(山手通り)と放射7号線(十三間通り/新目白通り)が開通し住宅街としての一体性が失われて、雑然とした平凡な住宅地の一つになってしまいました。かつての「文化村」の面影を残す高級住宅街と呼べるのは、「第二文化村」の一部、中落合4丁目周辺だけと言われています。
https://www.jsc-com.net/blog/bunkamura/top.htm
https://toutoi-tokyo.blogspot.com/2014/07/mejirobunkamura.html
マンションではなく戸建てが並ぶ高級住宅地、とのリクエストですが、今日び戸建て住宅ばかりの邸宅街なんて東京にまず無いですよ。代替わりによる土地売却やら相続税対策やらで、どの高級住宅街も表通りには高層マンション、裏通りには低層マンションが林立するようになっていて、それは白金も松濤も同じです。
明治以来の東京の伝統的な最高級住宅地は田園調布でも成城でもなく、千代田区の番町・麹町地区で、30年ぐらい前までは戸建ての大邸宅が並んで「閑静」そのものの住宅街、それはそれは見事なお屋敷町でした。しかしバブル期頃から低層マンションが立ち並ぶようになり、その後は高層化が進んで、都心という立地ゆえオフィス街化が著しく、通勤時間帯などはサラリーマンが群れをなして通りを闊歩し、閑静さから程遠いビジネス街になってしまいました。番町・麹町については戸建てかマンションかという以前に、住宅街の面影すら消えつつあります。
新宿区東部の市谷・牛込地区は起伏に富んだ地形で、高台には政・官・軍の要人や学者・文化人が居を構えた古くからの高級住宅地が点在しています。
町名でいうと市ヶ谷駅近くの市谷砂土原町や、神楽坂に接する若宮町。この付近は今も閑静な住宅街ですが、近年高層化とオフィス街化が進んだ千代田区の番町・麹町地区とは外濠を挟んで隣接する地域です。道幅が狭いので低層マンションが中心ですがビル化が著しく、お屋敷町の風情は消えつつあります。
新宿区内でも別格扱いの高級住宅街が下落合2丁目(南寄りの新目白通り沿いの低地を除くほぼ全域)・3丁目(目白通り以南のほぼ全域)と2丁目の北半分、通称「目白近衛町」と呼ばれるエリアです。
JR目白駅は豊島区にありますが、その西側は駅に近い一角を除き大部分が新宿区下落合に属します。ここは南を流れる神田川・明正寺川に向かって下る南斜面の高台にあり、理想的な住宅適地でした。
付近一帯は風光に優れた土地だったため、江戸時代は徳川将軍家の鷹狩りの場として一般庶民の立入が制限され、自然が手厚く保護されます。明治になると近衛家(五摂家筆頭にして天皇家に次ぐ日本最高の名門貴族)に広大な土地が与えられたことからも、この地がいかに高燥・温暖で眺望も良い一等地であったかが判ります。近衛家はここに本邸を構え、緑濃い自然豊かな環境は明治以降も維持されたのでした。
しかし大正末期、のち首相となった近衛文麿が当主の時代に近衛家は敷地の相当部分を東京土地住宅(株)に売却します。文麿の父・篤麿(貴族院議長)が政治活動で莫大な借金を背負い、それを返済するためと言われます。東京土地住宅はここを「近衛町」と命名、高級住宅地として分譲します。
近衛町には篤麿が学習院院長だった縁から学習院高等科の男子学生寄宿舎「昭和寮」が建てられ、明仁親王(現上皇)も学生時代ここで生活されるなど、皇室とも深い繋がりがある場所でした。昭和寮の瀟洒なスペイン風洋館は戦後日立製作所の所有となり、現在は「日立目白クラブ」として近衛町のシンボル的存在になっています。
「近衛町」は通称で一度も公的な地名になったことは無いのですが、住民はこの名に誇りを持っており、一帯は「近衛」「近衛町」の名を冠した施設がたくさんあります。ここもご多分に漏れず低層マンションが増えていますが、なお庭木が緑濃く繁る一戸建ての邸宅が多く残り、戦前からのお屋敷町の品格を保っています。
https://precious.jp/articles/-/39625
https://ameblo.jp/inazuma560/entry-12521122286.html
目白近衛町の西に位置する中落合2丁目の一部、3丁目と4丁目の大半、中井2丁目付近(概ね西武新宿線中井駅北側の高台一帯)は、現在の西武グループの経営上の祖である堤康次郎が率いる箱根土地(株)(後の国土計画~コクドの前身、現在は消滅)が大正末期から昭和初期に開発・分譲した「目白文化村」という高級住宅地でした。
目白文化村は、戦前は目白近衛町をしのぐ高級住宅地として実業家や文化人が居を構えていたのですが、1945年(昭和20)の空襲で大半の住宅が焼失し、また分譲地を分断する形で環状6号線(山手通り)と放射7号線(十三間通り/新目白通り)が開通し住宅街としての一体性が失われて、雑然とした平凡な住宅地の一つになってしまいました。かつての「文化村」の面影を残す高級住宅街と呼べるのは、「第二文化村」の一部、中落合4丁目周辺だけと言われています。
https://www.jsc-com.net/blog/bunkamura/top.htm
https://toutoi-tokyo.blogspot.com/2014/07/mejirobunkamura.html
回答
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A
回答日時:
2024/11/15 22:31:01
新宿だと内藤町は高級住宅街ですが地図で見れば殆どが新宿御苑です。
高級住宅地かといえばほとんどがマンション何ので住宅地とは違います。
若宮あたりも高級住宅はあり個人の豪邸はあるけど殆どがマンションに変わっています。
高級住宅地かといえばほとんどがマンション何ので住宅地とは違います。
若宮あたりも高級住宅はあり個人の豪邸はあるけど殆どがマンションに変わっています。
A
回答日時:
2024/11/10 21:11:16
市ヶ谷砂土原
防衛庁裏あたり。戦前からの名士が住む坂の町。
中井
山手線の外、西武新宿線から台地に登ります。一の坂から(確か)八の坂まであったかな。坂の斜面が高級。
下落合
山手線の外側、目白と高田馬場の間。高田馬場から行くと、喧騒を抜けて別世界です。
防衛庁裏あたり。戦前からの名士が住む坂の町。
中井
山手線の外、西武新宿線から台地に登ります。一の坂から(確か)八の坂まであったかな。坂の斜面が高級。
下落合
山手線の外側、目白と高田馬場の間。高田馬場から行くと、喧騒を抜けて別世界です。
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