教えて!住まいの先生
Q 戦国時代は、庶民にとって本当に不幸な時代 だったのでしょうか?良く、略奪される人、売られて しまう娘などのイメージが強い気がしますが、ほんとに そうなら、多くの戦国大名や家臣のお米は誰が 作り、食事 の
材料もどこから仕入れるのでしょう?
特に米作りは当時人手が必要だったはずです。
意外と、戦に参加しない出世欲もない
農民や町人は普通に暮らしてたんじゃないでしょうか?
(全く何もないとは言いません、現代人が思ってる
より少なかったのでは?)
だとすると、秀吉の検地や刀狩りは、現代人から
見ると武器のない平和な世の中にした、ということに
なるけど、当時の庶民からみると、自分を防衛する
権利や武士に転身するチャンスを奪い、きっちりはかって
取り立てられるから、実質増税、「ああ、前の方が
良かったよ」ってことだったんじゃないでしょうか?
補足
特に米作りは当時人手が必要だったはずです。
意外と、戦に参加しない出世欲もない
農民や町人は普通に暮らしてたんじゃないでしょうか?
(全く何もないとは言いません、現代人が思ってる
より少なかったのでは?)
だとすると、秀吉の検地や刀狩りは、現代人から
見ると武器のない平和な世の中にした、ということに
なるけど、当時の庶民からみると、自分を防衛する
権利や武士に転身するチャンスを奪い、きっちりはかって
取り立てられるから、実質増税、「ああ、前の方が
良かったよ」ってことだったんじゃないでしょうか?
秀吉は増税分を有効に活用してたのでしょうか?朝鮮出兵や大勢の側室、自分が贅沢をするのに使っていた印象があります。
秀吉統治後は、仕事のなくなる武士が増えますが(浪人?)、乱暴狼藉、略奪、売られ
る人など、戦国時代より減ったのでしょうか?もし無職の武士が乱暴狼藉を働いたり悪質な租税取り立てがあった場合、秀吉や各国領主は取りしまっていたのでしょうか?
質問日時:
2011/3/25 19:19:22
解決済み
解決日時:
2011/4/1 10:34:18
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ベストアンサーに選ばれた回答
A
回答日時:
2011/4/1 10:34:18
基本、戦国時代に戦う兵士の大半は農民が『足軽』として武装したものでした
なので、とくに足軽をたくさん活用しなおかつ戦いに明け暮れていた織田信長や毛利輝元などといった武将は米の収穫時期である秋ごろはあまり戦いませんでした。ですから武士や大名が食べる食糧はちゃんと農民が収穫していましたよ^^
→信長や秀吉の時代には全国でほとんどの武将が足軽を活用していたので戦いに参加しない農民はほぼいなかったと思われますよ^^町人はけっこう普通に暮らしていたと思われますが、商売の環境としては、当時『座』と呼ばれるカルテルのようなものが市場を寡占していたため、あまり利益をあげるのは難しく、生活水準は低かったと思われます(-_-;)
農民はいつ足軽として戦う時がきてもいいよう、武器を各々で所持していて秀吉などの武将的にも得でしたが、秀吉が統一して戦いの頻度が激減すると、秀吉は反乱の道具につかえないように刀狩をおこないました。
おまけに検地などを行って税率を規定して生活をくるしめたため、質問者さんのゆうとおり、前の方が良かったと思う農民も多かったと思います^^
ですが、滋賀県など戦場に多く選ばれていた土地の農民は田畑を戦いで荒らされる事が無くなったため、平和になっただけマシだと思ったひとも少なくはなかったともおもわれます
税収の使い道ですが当時、秀吉は京都の桃山の方に『聚楽第』とゆう大邸宅をたてたり、黄金の茶室をつくったり、2度の朝鮮出兵をおこなったり、あたえる領地が無くなったため金銭や宝物であたえたりなど、莫大な資金を使っているはずなので、増税分を有効活用していたとはあまり考えられませんね((+_+))
秀吉はもめごとに関する法令を幾度も発令し、何度も強化しているため、略奪や人身売買は統一前よりは減ったと思われますよ^^
なので、とくに足軽をたくさん活用しなおかつ戦いに明け暮れていた織田信長や毛利輝元などといった武将は米の収穫時期である秋ごろはあまり戦いませんでした。ですから武士や大名が食べる食糧はちゃんと農民が収穫していましたよ^^
→信長や秀吉の時代には全国でほとんどの武将が足軽を活用していたので戦いに参加しない農民はほぼいなかったと思われますよ^^町人はけっこう普通に暮らしていたと思われますが、商売の環境としては、当時『座』と呼ばれるカルテルのようなものが市場を寡占していたため、あまり利益をあげるのは難しく、生活水準は低かったと思われます(-_-;)
農民はいつ足軽として戦う時がきてもいいよう、武器を各々で所持していて秀吉などの武将的にも得でしたが、秀吉が統一して戦いの頻度が激減すると、秀吉は反乱の道具につかえないように刀狩をおこないました。
おまけに検地などを行って税率を規定して生活をくるしめたため、質問者さんのゆうとおり、前の方が良かったと思う農民も多かったと思います^^
ですが、滋賀県など戦場に多く選ばれていた土地の農民は田畑を戦いで荒らされる事が無くなったため、平和になっただけマシだと思ったひとも少なくはなかったともおもわれます
税収の使い道ですが当時、秀吉は京都の桃山の方に『聚楽第』とゆう大邸宅をたてたり、黄金の茶室をつくったり、2度の朝鮮出兵をおこなったり、あたえる領地が無くなったため金銭や宝物であたえたりなど、莫大な資金を使っているはずなので、増税分を有効活用していたとはあまり考えられませんね((+_+))
秀吉はもめごとに関する法令を幾度も発令し、何度も強化しているため、略奪や人身売買は統一前よりは減ったと思われますよ^^
質問した人からのコメント
回答日時: 2011/4/1 10:34:18
詳しくありがとうございました。戦国の世では地域にもよるのでしょうが、米収入プラス足軽収入、情報提供収入があったと言うことでしょうか
回答
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A
回答日時:
2011/3/25 19:42:35
庶民にとっては不幸な時代でもあり、良い時代でもありました。
下克上、という言葉をご存じだと思いますが、これはなにも「家臣が主人に取って代わる」だけでなく、庶民が支配層に成り上がる身分不問の時代でもありました。
秀吉はいうに及ばず、斉藤道三ほか例はいくらでもあります。
これは支配層が弱体化し、庶民が力を持ったことを意味しています。
ゆえに庶民にとっては、案外暮らしやすい時代でもあったわけです。秀吉の刀狩りは、このように力を持った庶民から力を奪う意味もあったわけです。
しかし、同時に庶民は収奪される側でもありました。
庶民が力を持ったため、支配層は自分の支配地域では、あまり横暴なことはできません。が、敵対勢力の支配地域は別です。
掠奪しようが、子供や娘を捕まえて奴隷として売買しようが、いっこうに問題ありません。
戦に参加する雑兵達も掠奪や奴隷狩りを目的にしており、敵地に侵攻しては収奪を繰り返していました。
「略奪される人、売られてしまう娘」
というのもまた、同じく事実であったわけです。
支配層は自分の支配地域については、このようなことが行われないよう保護し、力をもった庶民を味方につけるよう努力し、一方で敵支配地域では収奪する。
力のない支配層に支配された地域ほど悲惨だったわけですね。
>意外と、戦に参加しない出世欲もない農民や町人は普通に暮らしてたんじゃないでしょうか?
いやいや、農民はむしろ積極的に雑兵として戦に参加し、掠奪や奴隷狩りで収入を得ていました。
下克上、という言葉をご存じだと思いますが、これはなにも「家臣が主人に取って代わる」だけでなく、庶民が支配層に成り上がる身分不問の時代でもありました。
秀吉はいうに及ばず、斉藤道三ほか例はいくらでもあります。
これは支配層が弱体化し、庶民が力を持ったことを意味しています。
ゆえに庶民にとっては、案外暮らしやすい時代でもあったわけです。秀吉の刀狩りは、このように力を持った庶民から力を奪う意味もあったわけです。
しかし、同時に庶民は収奪される側でもありました。
庶民が力を持ったため、支配層は自分の支配地域では、あまり横暴なことはできません。が、敵対勢力の支配地域は別です。
掠奪しようが、子供や娘を捕まえて奴隷として売買しようが、いっこうに問題ありません。
戦に参加する雑兵達も掠奪や奴隷狩りを目的にしており、敵地に侵攻しては収奪を繰り返していました。
「略奪される人、売られてしまう娘」
というのもまた、同じく事実であったわけです。
支配層は自分の支配地域については、このようなことが行われないよう保護し、力をもった庶民を味方につけるよう努力し、一方で敵支配地域では収奪する。
力のない支配層に支配された地域ほど悲惨だったわけですね。
>意外と、戦に参加しない出世欲もない農民や町人は普通に暮らしてたんじゃないでしょうか?
いやいや、農民はむしろ積極的に雑兵として戦に参加し、掠奪や奴隷狩りで収入を得ていました。
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