教えて!住まいの先生

Q 宝塚ホテル現在建っている場所は昔駐車場でしたが、それ以前は何があったのですか? また、宝塚一帯の阪急の用地取得、用地利用の歴史をご存知の方色々ご教示ください。

質問日時: 2023/11/1 19:31:38 解決済み 解決日時: 2023/11/14 11:31:44
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A 回答日時: 2023/11/14 11:31:44
宝塚ファミリーランドは、場所が分かれていたんです。
まず、新温泉と呼ばれた、現在の大劇場から駐車場のあるところ。
次に動物園があった、今のベビザラスやジョウシン、北駐車場と呼ばれる範囲一帯。次に、今はニトリやユニクロ、手塚治虫記念館のある植物園エリアと呼ばれた場所。最後は、野球場跡と呼ばれる、旧宝塚音楽学校校舎や関西学院大学附属小学校がある一帯です。
ファミリーランドがあった時代は、そのバラバラの場所を、陸橋などで繋いでいました。

現在の宝塚ホテルがある場所は、クラレプラスチックスの創業者 阿部金次郎さんの大別荘がありました。
元々、あの辺り一帯は、武庫川の河原で何も無い場所で、対岸の良元村の地主で実業家だった平塚嘉右衛門が、高級別荘地として開発を始めた場所でした。

宝塚ホテルは、その高級別荘地の人に利用してもらう施設として、平塚嘉右衛門が主体となって開業しました。後に小林一三も経営に参加して、現在の阪急阪神ホテルズの礎になりました。

今の方は、ほとんどご存知無いでしょうが、武庫川を上流に登った、西宮市との境界から逆瀬川に至る武庫川両岸は、一大高級別荘地だったんですね。
今もわずかに、その頃の名残りが、護岸の石積や、道筋に残っています。
昭和50年代くらいまでは、そういう高級別荘が、超有名企業の保養所となっていたり、旅館になったりしていました。

今、宝塚ホテルが建っている場所も、阿部さんから売却してもらった後は、阪急スイミングスクールとして長らく営業していましたが、阪神大震災のために倒壊して、長らく使われてはいませんでした。

その横にある、現在の駐車場のある場所はには、長らく宝塚ヘルスセンターという日帰り入浴の温泉施設がありました。(一時期は宿泊も出来ました)
今も残っている楠の辺りに、宝塚中劇場(後の宝塚新芸劇場)が建っていました。
この劇場で、関東大震災で避難してきた六代目尾上菊五郎の一座が公演しています。戦後は、秋田實の『漫才学校』という番組で使われ、全国区の人気を得ました。
中劇場が老朽化のために取り壊されたのが、昭和47年くらいでしたか。
その地下には、昔の新温泉の大浴場やヘルスセンターの大浴場を賄うためのポンプ設備があって、その1部分に、更科の蕎麦屋や喫茶店、毛皮を扱う高級ブティック、友の会事務局がテナントとして入ってました。
ヘルスセンターの取り壊しが決まって、テナントは閉じられ、100周年くらいまでは、放置されたままで、記念撮影できるようにパネルでカバーされていました。
現在のバウホールが建っている場所が、古い写真でも確認できる『新温泉』の建物跡です。その大浴場は、今の『フルール』の調理場がある辺り。
パラダイスと呼ばれた建物は、チケットカウンターや写真館のある建物です。
あの建物は、初代の基礎の上に建っている2代目のパラダイスなんです。

現在は北駐車場などになっている、元 動物園エリアと呼ばれた場所には、動物園の他に『公認50mプール』という施設がありました。
昭和7年に、長さ50メートル、幅20メートル、全8コースというサイズは、国内でも珍しく、オリンピック選手の練習場としても利用されました。
東洋初の水中投光器32個が側面に設けられた夜間競技もできるプールで、5千人収容の観客スタンドがあり、その内部はクラブハウスになっているという、最新の設備が整っていました。
駅前再開発で道路が拡張されるまで、そのスタンドの1部が長らく残っていて、クラブハウスの1部だったところは、ファミリーランドのゲームコーナーとして使われていました。

次は植物園エリア。
現在のすみれ寮がある場所は、その前が『宝塚歌劇記念館』という施設で、宝塚の資料館として無料開放されていました。さらにその前は、宝塚歌劇図書館という施設で、宝塚の資料だけでなく、演劇に関する資料や図書が収められていました。戦時中、宝塚には海軍が駐在していました。その一兵卒だった若き日の映画監督 新藤兼人が、この図書館でシナリオの勉強をしたと語っていました。
この図書館の裏手には、昭和3年に建てられ、東洋一と呼ばれた、全面ガラス貼りの大温室がありました。
他にも、宝塚文化館と呼ばれた建物など、数ヶ所の建物があり、講演会や料理教室などが開催されていました。今でいうところのカルチャースクールのようなことが行われているエリアでした。

最後の野球場跡と呼ばれた一帯は、大正11年に宝塚大運動場として開設された場所で、25000人収容の内野スタンドを持つ宝塚野球場がありました。西宮球場が完成する昭和13年までのわずかな間しか存在しませんでしたが、日本プロ野球発祥の場所の1つとして、歴史に残っています。
戦後、宝塚映画のスタジオとオープンセットの場所となり、そのオープンセット部分が、拡張されたファミリーランドの1部となりました。
阪急電車の歴史見せる電車館や、昆虫館などの資料展示館、山梨から移築された小林一三生家、茶室などがありましたが、ファミリーランドの拡張と、阪神大震災のために取り壊されました。

花のみち界隈は、4つくらいの商店街に分かれていました。
現在もJR宝塚駅や阪神バスの停留所がある辺りは、阪急の持ち物ではなく、阪神電鉄が開発した場所で、宝塚市に合併する前の川面村時代の役場の前に当たる場所でした。
国道176号線を越えると『宝塚戎町商店街』、いまのソリオがある場所は『中央通商店街』、そして『花のみち商店街』市場も2つありました。

176号線の拡張、駅前再開地域として、それらの商店街も建て替え、立ち退きなどがあり、花のみち辺りも再開発される予定でした。
しかし、阪神大震災のために花のみちの商店街は、ほぼ壊滅状態となりました。廃業しなかった1部の店舗が、仮店舗で営業を続け、現在の花のみちセルカは、震災復興と再開発事業とを兼ねて建設されました。

現在の宝塚ホテル側の花のみちは、中央通商店街から続く形で、大きな美容室だった『キタノ』『富士ベーカリー』が今の白木屋などが入っているテナントビルのところにありました。
今のロッテリアの場所は、昔はカフェバーみたいなお店でした。

と、思い出すまま書きました。
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A 回答日時: 2023/11/2 13:56:09
宝塚ホテルのあたりは温泉の施設がありました。入ったことはないのですが、結構大きい建物でした。
その並びにお蕎麦やさんとかカフェがありました。
お蕎麦やさんでヒレカツを頼んだらヘレですね!と言い直されて、関西でヘレカツと言うのかとカルチャーショックを受けました。カフェは高嶺ふぶきさんのお母様がやっていて抹茶オーレを初めて飲んで美味しくて感動したのを覚えてます。
当時関東では抹茶オーレはまだ普及してなかったので、

花の道をはさんで向こう側には古い商店街見たいのがあったけど地震で崩壊したらしいです。
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A 回答日時: 2023/11/1 21:00:35
震災前は温泉せんべいとか売ってる土産物屋さんがずらっと並んでましたよ。
そこと大劇場の敷地の間に宝塚新芸劇場とか温泉施設がありましたね。
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A 回答日時: 2023/11/1 20:26:54
宝塚ファミリーランドがありました。
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