教えて!住まいの先生

Q なぜ岐阜駅の南口と北口で格差があるんですか?南口は住宅地しかなく北口は色々あります何故このような差ができたのでしょうか

質問日時: 2024/9/7 16:09:31 解決済み 解決日時: 2024/9/16 13:35:18
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A 回答日時: 2024/9/16 13:35:18
周辺環境との関係が深いです

岐阜駅の北側には古くから繊維街(問屋町)が栄えおり、そのさらに北の柳ヶ瀬地区は商業地区として栄えていました
そこに昭和3年に新岐阜駅(名鉄岐阜駅)が完成し、その2年後には柳ヶ瀬に岐阜発のデパートが建設されました

また昭和25年には岐阜駅の南側に金津園(ソープ街)ができました
昭和の時代には岐阜の繊維街はめちゃくちゃ有名で全国からビジネスマンが出張で訪れていたので、昼間に生地を購入し夜は柳ヶ瀬で酒を飲み最後はソープ街で遊ぶという流れができました

駅の北側は仕事とお酒、そして南側は夜の遊び(ソープ)というイメージがあるので、いつまで経っても北側ばかりが明るく楽しい雰囲気で、南側はどこかディープで暗い雰囲気があるのだと思います
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A 回答日時: 2024/9/8 16:27:30
最初に鉄道が引かれた時、線路も駅舎も今のような高架でなく地上で駅舎は片方だけで栄えている方もしくは、栄えさせたい方角に作られました。他のひとが言っている表と裏です。今は表側も寂れていますが、繊維問屋街、柳ケ瀬は名古屋より賑わっていました。元の県庁や岐阜大学、名鉄市内線も表でした。
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A 回答日時: 2024/9/8 07:17:47
ほとんどの街の駅前は、表と裏が存在します。理由は色々ありますが、岐阜の場合、駅舎で南北が分断され、南は諸般の事情(戦後色々ありました)で歓楽街となり、北は柳ヶ瀬へと続く商業施設等が出来ました。
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A 回答日時: 2024/9/8 02:16:46
岐阜駅の南側は加納という地名。
中山道の加納宿。宿場町です。

江戸時代には、加納城という城もあったので、昔は城下町、宿場町として繁栄していたのでは?
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A 回答日時: 2024/9/7 17:19:46
ハルピン街から柳ヶ瀬方面が栄えたから。
名古屋駅も昔は新幹線口が出来るまでは東口しか栄えて無かったですよ。
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