教えて!住まいの先生

Q 夙川の語源について

夙川の語源を調べても
宿場の近くを流れていたから「しゅくがわ」となった
という説が推されているように感じます。

しかし所謂「夙」の文字を当てているのには
その意味から取られたのが自然であるように思えます。
(当て字にするなら「祝川」とかでも良いような気もしますので。)


勿論、今は綺麗な街であることも充分知っていますしブランドとして宣伝したい不動産屋の思惑だとか、表立って差別的な事が言いづらいのはわかります。
(私個人も変な感情は持っていないです。ただの興味本位です。)


西宮の土地の成り立ちに詳しい方や
日本の地名に詳しい方
もしご存知ならご教示いただきたいです。
質問日時: 2021/6/29 22:09:49 解決済み 解決日時: 2021/7/2 18:15:37
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ベストアンサーに選ばれた回答

A 回答日時: 2021/7/2 18:15:37
大体ご推察の通りです。
自治体や大手メディアは、地名の由来として一番有力で、かつ誰が考えても一番自然な説を紹介してしまうと差し障りがありすぎるので、書いても問題がない無難な他の説だけを紹介してお茶を濁しているのですよ。宿場の近くの川だったからとか、野見宿禰(のみのすくね)に由来するとか。
差別を助長するのは断じてよくありませんが、過去の歴史的事実を「なかったこと」にして一切教えない姿勢にも問題があると思います。私はそのような考えに立って私見を書きます。歴史的証拠から考えてそう考えるのが自然だろうという内容で差別的意図は毛頭ありませんが、不愉快に思う人がいましたら何卒ご容赦ください。



「夙」などめったにお目にかかる文字ではないので調べてみると、この言葉は高級住宅街のイメージとはおよそかけ離れた意味でずっと使われてきたことが分かります。
宿場の近くを流れていたからシュク川であるのなら、素直に「宿川」と表記すればよいはずです。わざわざ難しい、しかもいわく付きの「夙」の字を当てるべき理由はないのです。この字が使われるだけの「いわく」「背景」があったから、「夙川」という表記が生じたと考えるのが自然です。
Wikipedia「夙」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%99


「西宮」の地名の由来は、西宮市大社町に鎮座する廣田神社に由来します。廣田神社は伝承上は神功皇后の創建と伝わり、「延喜式」にも記載のある日本屈指の古社で、明治以降は官幣大社に列せられています。現在の西宮市では「えべっさん」こと西宮神社の方がはるかに有名になっており、西宮の地名もえべっさんが由来と一部で信じられているのですが、元々は廣田神社に付属する摂社の一つ「戎社」に過ぎず、社格もはるかに低いものでした。

廣田神社は平安時代中期から中世にかけ、この一帯に広大な荘園(神郷)を有していました。鎌倉・室町期の社会変動や相次ぐ飢饉などで生産手段を失い、流民化した人々が大量発生したのですが、廣田神社のような有力寺社では荘園内での葬儀や動物駆除など不浄とされた仕事、境内の雑務、ときに祭事の芸能を担う者として彼らを住まわせました。

シュクという語は皇族の遺体処理を担い墓(御陵)の管理を担当した「守戸」が起源という説が江戸期から唱えられていましたが、明治以降これを疑問視する学者が多くなり、荘園領主らが彼らを住まわせたことを意味する「宿(シュク)の者」が由来ではないかとする説が有力になっています。彼らの呼称として「夙」の代わりに「宿」の字を当てる事例も多くあり、「守宮」「守公」「守具」等とも表記されました。
「宿」という語には宿場や宿屋という意味だけでなく、「そこにいる」「住んでいる」という意味があるのはお分かりだと思います。シュクニン(宿人・夙人)とは「支配者が不浄とされる仕事を請け負わせる見返りに、その土地に住む権利を与えた者」のことです(労役を放棄する代償として居住権を失った者が『無宿人』)。
「宿」という字に起源があるとしても、それは「宿場(町)」の意味とは限らないわけです。


「夙川」という河川名が文献に現れるのは、江戸時代初期の1605年(慶長10)の「慶長十年摂津国絵図」(県重要文化財)に「シュク川」と書かれたものが初出で、80年後の1686年(貞享3)の「広西両宮絵図」には「夙川」の表記があります。
またその夙川の右岸(西岸)一帯もかつては「夙村」と呼ばれていたことが、阿弥陀寺(郷免町)にある「広西両宮絵図」と同年の貞享三年の銘がある梵鐘に「摂州兎原郡夙村」と刻まれていることから確認できます。
夙川が「宿場のそばの川だから」とすると、「夙村」はどう説明しますか。宿場のそばの村だから?宿場に近い村なんか、全国至る所にあるではないですか。

リンクしたWikipediaの記事には「また夙の者により形成された村落を指して『夙村』などと呼ばれることもある」という記述があります。
また夙川地区の阪神国道(国道2号)に「森具」(もりぐ)という交差点があり、同名のバス停もあります。付近の屋敷町には森具公園もあります。「森具」は現在の町名には残っていませんが、ここは1874~1889年(明治7~22)期は森具村という名でした(1889年大社村の一部となって大字森具)。
1874年以前は「守具村」の表記でした。「シュク(夙)」の表記バリエーションの一つに「守具」もあったことにご注目ください。江戸時代初期の「夙村」がその後「守具(シュク)村」と書かれるようになり、「守具」の字面から「モリグ」に読み方が遷移して明治期に「森具」の表記になった…ということらしいのです。


このような状況証拠を積み重ねていくと、「夙川」の地名は、中世~近世に「夙の者」と呼ばれ賎視された人々が集住していたことに由来すると考えるのがもっとも自然に思われるのです。

六甲山南麓の、いわゆる阪神間エリアは、山が海に落ち込む南向きの斜面にあって、大正時代以降に住宅適地として開発され、現在は高級住宅地として高いブランド力を得ている町がたくさんあります。
しかし江戸時代以前は、六甲山地に降った雨が急傾斜で海に一気に川を流れ下る洪水常襲地域であり、洪水に特に頻繁に見舞われた標高の低い川沿いの低湿地には、江戸時代の身分制度でケガレていると決めつけられた人たちの集落がたくさんありました。夙川エリアからは少し離れていますが、現在のJR西宮駅の北から阪急西宮北口駅の西側にかけて(その全域ではない)、一村まるごとそのような集落だけで構成された「武庫郡芝村」という村が1933年(昭和8)まで存在していました(同年西宮市に吸収合併)。昭和の初めまでそのような極めて特殊な成り立ちの村が自治体として残っていた所に、この地域が複雑な歴史をはらんでいることを示しています。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%8A%9D%E6%9D%91_(%E5%85%B5%E5%BA%AB%E7%9C%8C)
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質問した人からのコメント

回答日時: 2021/7/2 18:15:37

ありがとうございます。

自分の考えに一致するものばかり選ぶのも危険であはりますので
一つの有力な説として、今回より詳しいご説明のこちらの方をベストアンサーにさせていただきます。


私個人としてはイメージだけで土地の名前を変えてしまったりするのは
少し軽率な気がします。(今回は残っていた例ですが)
昔から栄えてた土地には、おおよそ亡骸を捨てる場所も隣接していた訳で、変に感じることもないと思うのです。

回答

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A 回答日時: 2021/6/29 22:57:34
シュク・スクと付く地名は、宿河原、宿院など全国に多数の例があります。
その語源について、民俗学では、シュク・スクは「境界にある場所」という意味で使われることが多いとされています。村と村の境、町と周囲の農村部との境のような場所がシュク・スクというわけです。
ご質問の夙川が、本当にそれに該当するかは自信がありませんが、宿場の近くということですので、宿場町と周囲との境をなす川がある場所だからシュク川となった可能性はあります。
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