教えて!住まいの先生

Q 江戸時代の金融務事情についての質問。

例えば、元禄14年(1701年)に25年の長期融資を行う場合、返済期限は「享保11年」となりますが、元号の未来はわからないので借用書には「元禄39年」と記すのでしょうか?又は干支(60年周期)を用いて「丙午」するのでしょうか、しかし、70年後の事案なら干支は使用しにくいです。西暦なら「1726年」と簡単に処理できます。皇紀は明治時代の制定とあります。江戸時代は短期で改元があったので金利計算等の事務が混乱しやすかったのではと思います。なお、小生の住宅ローンには昭和75年の記述がありました。徳川幕府では「50年後までに」をどう表記していたのでしょうか。江戸時代の人の思考法を知りたいのです。
質問日時: 2024/2/18 09:42:25 解決済み 解決日時: 2024/2/23 16:53:28
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A 回答日時: 2024/2/23 16:53:28
様々な事例があろうかと思いますから一口に断定することは出来ませんが、基本的には「金○○両(または銀○○貫)、15年の年賦で借り受ける。利息は月に○分とする」みたいにして、借受金の全体額・返済期間・利息に関する取り決めをして、毎年それを更新するというやり方をしていたようです。

余白を長めにとった巻紙を用意し、最初に上記の事柄を書き入れ、毎年いくらの金額を返済し、元本がいくらになったか、利子の変動はあるか、その時の金銀の相場を勘案してどう処理するか、といった事柄を追記していく形です。

寛文十年に借りた証文に寛文十一年にいくら返済、寛文十二年いくら返済、延宝元年いくら返済、延宝二年いくら返済、・・・という具合に毎年追記していくので、元号が変わっても特に問題は無かったのでしょう。

十数年も経ったら、借り手の方も貸し手の方も当事者が代替わりしているのが普通ですし、先々の何年に返済するとかいうことをあらかじめ証文に書き込むよりも、毎年その時々の当事者同士が「今年はいくら返済する/した」ということを確認し合うという方が間違いが起こらないです。


また、江戸時代は天候不順や地震・水害などの天災によって農作物が不作になったりすると、大名などは収入が一気にガクンと減ってしまうことがあるので、毎年毎年キッチリとお金を返済できるとは限りません。

長いスパンでの借用に関しては毎年「これだけの金額は返済出来ていて、これだけの金額が残っていて、今年はこれだけの金を返す」といったことを借り手と貸し手がそれぞれ確認し合いながら、取り決めをしていくものだったようです。


一つの例として以下のサイトを参照いたしました。
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近 世 前 期 の 大 名 貸 証 文
https://www.jstage.jst.go.jp/article/keizaishikenkyu/1/0/1_KJ00000532533/_pdf/-char/ja
―――――――――――――――――――――――――――――
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